インドの中でもバラナシは突き抜けていると思う 前編
8年ぶりに訪れたバラナシ。
普段インドで暮らしているとはいえ、やっぱりここは別格。
あまりの混沌具合に時空も歪んでしまったような不思議な感覚を覚える。
インドの全てが凝縮されている街、それがバラナシだ。
今回はデリー発1泊2日の弾丸ツアーだったがかなり満喫できた。
臭い汚い危険で、結構好き嫌いがわかれる街だと思うが、好き派の私が思う
バラナシのここがすごい!を3つほど挙げてみたい。
まずは、ガンガー(ガンジス河)
バラナシを語るうえで、いやインドを語るうえでも、この聖なる河ガンガーは外せない。
インドの神話では、この河そのものが神様なのだ。
そのため、河岸のガートと呼ばれる沐浴場では毎日、日没時にプージャーという祈りの儀式が行われている。
8年前に訪れたときは、ボートに乗って河から眺めた。
今回はボートに乗らずガートの会場で見学したのだが、こちらの方が良かった。
なぜなら、より巡礼者の様子を間近で見ることができるから。
ここには、インド各地からヒンズー教徒たちが巡礼にやってくる。
遥々遠くから電車やバスで乗り継いできた人もいるだろう。
生涯働きづめで、旅行らしい旅行もできずにただ一度だけバラナシに来ることを許された人もいるだろう。
私と母が会場に立っていると、近くのおばあさん集団が「ここが座れる」と手招きしてくれた。
日頃グルガオンでは見かけない、英語は話せず、あまり裕福とは言えないであろう熱心なヒンズー教徒の方たちだった。
ようやく一生の夢が叶ったとばかりに、目を潤ませながら儀式を見つめるおばあさんたちを見て、改めてここが聖地であることを深く思い知る。
正直私にはプージャーの内容やガンガーのありがたさはわからない。
しかしそれを心の底から信じている人々の横顔の美しさに、どうかこの人たちが幸せになれますようにと祈ってしまうほどだった。
翌日は日の出を見に再びガンガーを訪れる。
かなり寒いが、さっそく沐浴をする人々で溢れていた。
ボートに乗って、様々なガート見る。ガートごとに変わる景色が面白い。
特に印象的なのがマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場だ。
墓を持たないヒンズー教徒にとって、火葬され、遺灰となってガンガーに流されることはこの上ない喜びとされている。
そのためだろうか、そこには悲しみとか無念さとかそうした感情が感じられない。
犬がいて、牛がいて、雄大なガンガーがあって。
人の命は壮大なようでいて、雄大な時の流れからするとほんの一部でしかないと思える。
世界広しと言えど、この感覚はやはりバラナシでか味わえないのではないかと思う。
残り2つは、後編に続く