インドの中でもバラナシは突き抜けていると思う 後編
前回の投稿の続きです!
2つ目のバラナシのここがすごい!として、情報の洪水という点があげられる。
とにかく目にする情報の量が半端ないのだ。
狭い路地の中に、人、車、バイク、リキシャ、牛、犬、猿、ゴミ、店、お寺…
様々なものがごった返している。
そのうえそれぞれが自由な動きをしており、歌いながら歩いている巡礼者や、凄いオーラを放つサドゥ、お金をねだる物乞い、ニームの枝で歯磨きをしてる人、猿や犬の喧嘩と、例を挙げればきりがないほど、あっちもこっちも目が離せない。
交差点で焚火をする人たち
日本にいたら、この中のどれか1つ見かけても「今日こんなの見ちゃった!!」と興奮気味に人に話したくなるようなことが、歩くたびに目に入ってくる。
祠に祭られていた聖人(?)の像。左は服に埋もれちゃってるし、右は目ん玉飛び出ちゃってるし…
さらには音や臭いも凄い。
クラクションや怒鳴り声、ドブや獣の臭い、強烈なスパイスの臭いにと、絵にかいたようなTHE・喧騒が、あらゆる方向からで全力で迫ってくるのだ。
「なんで?!」の連続にただた可笑しくなってきて、笑うしかない気にさせてくれるのがバラナシのすごさ(笑)
そして最後に、古き良きものが残っている点も素敵だ。
例えばチャイの素焼きカップ。
都市部ではかなり使われなくなってきているが、ここではほとんどのお店で現役。
素焼きカップは手作りで、一つ一つ形も違って味わい深い。
私はいつもお店の人に言って持ち帰るのだが、インド人はそれを不思議そうに眺める。
こんなものの何が良いの?と聞かれるのだ。彼らにとっては紙コップと同じらしい。
それから、ここではサイクルリキシャが大活躍。細い身体で頑張って漕ぐオジサンたちと、クラクションではなく鈴の音なのもなんだか和む。
また宿泊したホテルの裏では結婚式が行われており、覗きに行くと歓迎してくれた。なんだかわからないが一緒に踊り、お祝いさせてもらった。
こんなところもまだまだ古き良きインドの伝統が残っていると言える。
そんな濃密な2日間をすごし、グルガオンに戻った時には思わず「都会だねーー!」と盛り上がった。
それなりにうるさいと思っていたグルガオンが無音に思える。
はぁぁ落ち着く…
しかし少し経つと、やっぱりバラナシが気になる。もう一度行きたい。
次に行くときは1週間くらい滞在して、ゆっくり歩いて見て回りたい。
目が慣れてくればもっと見えてくる世界があるだろう。